JR脱線事故“最後の生存者”語る 林浩輝さん(経済・3年) (前編)

—事故から1年が経ちましたが、今の心境はどうですか。
 4月から復学したんですが、一般の人たちと同じように大学生活を送ることにプレッシャーを感じています。キャンパスに行くこと自体が大変で、しんどい。松葉杖で歩いたりしても、車いすに乗るにしても、人通りが多くて狭い道が多い。そういうところにいくのがプレッシャーになる。普通の生活を送るのに必死です。

—昨日(4月25日)兵庫県尼崎市であった「福知山線列車事故追悼慰霊式」や、京田辺キャンパスの追悼礼拝には出席せずに、今出川キャンパス礼拝堂であった追悼礼拝に出席したのはなぜですか。
 尼崎も京田辺も参加したかったんですが、人がいっぱい集まるし、マスコミが来るので、行くのを避けた。自分が今通っているのは今出川キャンパスだし、僕も事故の当事者ですし、祈るだけでもいいかなと。行くのに抵抗があったが、当事者として亡くなった人たちに祈りをささげようと思った。

 事故のあった朝、両親と弟はすでに外出していた。林さんは2限の授業に出るため、いつも通りに朝食を作って食べて、1人家にいた祖母に「行ってくるわ」と言い、自宅からJR伊丹駅に向かった。そこでJR同志社前駅行きの快速電車は70メートルもオーバーランして停車した。電車が行き過ぎた光景を見たのは初めてだったが、「運転手さん失敗したなあ」と、あまり不安は抱かなかったという。同志社前駅の改札がある降車ホームと反対のホームに渡るのに近い先頭車両の運転席のすぐ後ろに乗ったが、「運転士の様子は特におかしくなかった」と振り返る。

 そして9時18分、事故現場のカーブにさしかかる。

—事故が起こった瞬間はどんな感じでしたか。
 窓越しに景色を眺めていたら、急に体が宙に浮いてきて、これは脱線するなと。だんだん体が斜めに浮いて、見ている景色もゆがんで見えてきた。体がぱっと浮いたら、あとは一瞬でしたね。マンションの下に突っ込んで、気がついたら真っ暗でした。

—車両に閉じ込められていた間はどんなことを考えていましたか。
 大声を出して助けを呼んだが、誰も助けてくれる気配はなかった。自力では出られる状態ではなかった。何時間もこの状態が続いて、このままやったら死んでしまうんじゃないかなと、あきらめがあった。

—携帯電話などで外部と連絡をとりあったのですか。
 マンションの下は圏外か電波が弱くて、電話もメールもろくに返せなかったんですよ。やっと電話で父親とつながって、「一番前にいるけど、誰も来ない。このままやったら無理かも知れへん」と会話した。

—救出された時はどうでしたか。
 自分以外の人はもう死んでいた。まわりは死体だらけで。レスキュー隊の人が「生きているのは君だけやから」と言って励ましてくれましたね。やっと出られるねんなと、ほっとした。

 救出後、林さんは尼崎市内の病院に入院した。命は取り留めたものの、左足を切断する重傷を負った。事故前のような日常生活に復帰するため、苦しみや苛立ちに耐える日々が続いた。

—足を切断して感じたことは何でしたか。
 今まで車椅子に乗る人を見ても特に気にしなかったが、障害者への見方が変わった。持っている障害も人によってピンからキリまであるが、そういう人たちに何で車椅子に乗ってるのと気になるようになった。あの車椅子がかっこいいとか、ださいとか、おしゃれも考えるようになった。

—入院、リハビリ中はどんなことを考えていましたか。
 なかなか両松葉で歩くのは厳しいと医者に言われた。義足をつけて歩くのは体力がいるし、両松葉だと荷物も持てないのに、そうまでして歩く意味はないじゃないですか。それでも先生は歩け、歩けと言った。でも歩くことに対する価値が見出せなかった。(半年後)明石の病院に移ったときに、一生車椅子で何をしても歩けない人がいたんですよ。その人に「お前なんかしんどいかも知れんけど、杖を使って歩けるやん」と怒られ、心を動かされた。そのときは投げやりな感じだったが、病院の外に出て、松葉杖と車椅子で歩こうと思った。京都を歩いていると見える視点が違う。格好が悪くても、年をとっても立てるのなら違う。力がなくなって歩けなくなって文句を言うよりも、歩けるのは今のうちだから、すごい歩くことと車椅子を使うことにこだわりがありますね。

—歩けるようになってよかった。
 うん。車椅子に乗っているほうが、友達が気を使うので。今は松葉杖で歩いて大学に通っているけど、これからは理解してもらうためにいつかは車椅子で来て、まわりに溶け込むようにするつもりです。今は無理してでも、こけても友達が肩をもってくれるって信じているから歩いている。

—入院中に励ましを受けた中で心に残ったことはありますか。
 最初はやっぱり友達と会ったら、なんて言葉をかけたらいいかわからなかい空気を出していた。困ると言ったらおかしいですけど。なんともいえない目で見られるのがつらかった。友達の反応を見るのがいやだった。

—退院して、事故前と同じようにキャンパスで授業が受けられるようになって、どう思いますか。
 心からうれしいと思います。授業に行くと、みんなが僕のことを知ってるじゃないですか。入院のときにお見舞いに来てくれたり、けがした後から付き合いのあった奴とやったら接することができるんですが、初めて会う奴もいるわけじゃないですか。そういう人とだと何をしゃべったらいいかわからない。まわりからすごく見られるんですよ。あの子、例のJRの子や、みたいな。嫌ですけど、それが普通ですね。(後編につづく)

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