アラビア語習得のため2018年9月から、中東ヨルダンの国立総合大学ヨルダン大に留学している。12月下旬、冬季休暇を利用して、ヨルダン川西岸のパレスチナ自治区ラマラやベツレヘムを訪れた。今回は、イエス・キリスト生誕の地とされるベツレヘムのクリスマスと、分離壁を取り上げる。【パレスチナ自治区ベツレヘム、西崎啓太朗、写真も】

世界遺産の聖誕教会前の広場に設けられた巨大なクリスマスツリー。多くの人が写真を撮っていた

世界中から巡礼者

 新約聖書によると、聖母マリアはベツレヘムでイエスを産んだ。星を見てイエス誕生を知った東方の博士たちは、星に導かれベツレヘムに向かい、飼い葉おけの中に寝かされたイエスと出会ったという。

 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地エルサレム中心部から南へ約10㌔。ベツレヘムの聖カテリナ教会では、12月24日深夜から25日未明に毎年恒例のローマ・カトリックのクリスマスミサが行われた。パレスチナ自治政府のアッバス議長ら政府高官と世界中から集まった巡礼者が祈りをささげた。

 日本の外務省によると、パレスチナの人口の9割以上をイスラム教徒が占め、キリスト教徒は約7%と少数派。ベツレヘムもイスラム教徒が多数派だが、パレスチナで最大級の キリスト教徒コミュニティーがある。聖カテリナ教会に隣接する世界遺産の聖誕教会では25日未明、イエス生誕の地とされる地下洞窟でアラビア語のミサが執り行われていた。

 また聖誕教会前の広場では、巨大なクリスマスツリーやイエス生誕の場面を再現したモニュメントが飾られた。バグパイプバンドのパレードやアラビア語のクリスマスソングの演奏も行われ、盛り上がった。

 キリスト教徒だけでなく、地元のイスラム教徒もクリスマスを一緒に祝う。スーク(市場)がある旧市街では、サンタクロースの帽子やイチゴを売る人々の掛け声が響いた。イスラム教徒の男性は「寒いけど、ツリーはすごくきれい」と笑顔。子どもたちも屋台でコーンスープやジュースを買い、楽しんでいた。

検問所の緊張感

 クリスマスで華やぐベツレヘムは別の顔を持つ。イスラエルが「テロ対策」として建設した自国領とパレスチナを隔てる分離壁だ。高さ約8㍍のコンクリート壁や検問所が町を囲んでいる。

イスラエルが設置した分離壁と監視塔。壁の高さは約8㍍ある

 ベツレヘムからエルサレムに移動する際は、イスラエル軍の検問所で身分証明書を提示しなければならない。外国人観光客は簡単に通過できるが、パレスチナ人がイスラエル側に入るときは許可証が必要で、自由に行き来できない。

 パレスチナ人と会話すると、分離壁や検問所への不満を訴えられることがある。西岸に住むパレスチナ人の男性に「(イスラエルの)テルアビブへ観光に行く」と言うと「私たちはずっと西岸に閉じ込められていて、行くことができない」と悲しそうに話していた。

 私も検問を経験した。銃を持った兵士にパスポートと入国証明書を見せるときは、何も悪いことをしていなくても緊張する。身分証明書の確認作業がなかなか始まらないことも多い。時間通りに移動できず何度もいら立ってしまった。

 イスラエルは1967年の第3次中東戦争でヨルダン川西岸やガザ地区、東エルサレムを占領した。イスラエルとパレスチナは93年、オスロ合意で、西岸とガザ地区にパレスチナ国家の樹立を目指すことに合意。「2国家共存」の道が開けた。

 だが和平は進まず、パレスチナ側では2000年代前半、第2次インティファーダ(対イスラエル民衆蜂起)が発生。イスラエルは02年から、パレスチナとの境界で分離壁の建設を始めた。04年には、国連緊急特別総会が壁の撤去を求める決議を採択したが、現在も建設が続いている。