【7月号掲載】大阪北部で震度6弱 大学キャンパスに被害多数
6月18日午前7時58分、大阪府北部を震源とする最大震度6弱の地震が発生した。大学のキャンパスでは、窓ガラスが割れたり建物にひびが入ったりするなどの被害があり、学生にも公共交通機関の運休で混乱が生じた。各大学は休校措置を取って対処。学生の安否確認など対応を迫られた。【堀江由香】
気象庁によると、マグニチュード6・1で、震源の深さは13km。大阪市北区、高槻市、枚方市、茨木市、箕面市の5市区で震度6弱を観測した。その他18の市区町村でも震度5強を観測し、各地で被害が相次いだ。この地震による死者は4人。住宅の被害は全壊、半壊、一部損傷を合わせ2万件を超えた。
関西地方を走るJR、阪神電車、大阪メトロ、阪急電鉄、京阪電車、近鉄電車、南海電鉄、泉北高速鉄道は全線や一部で運行を停止。地震が発生した午前7時58分は、通勤や通学の時間と重なり、数時間電車内での待機を余儀なくされた乗客もいた。
大阪府で震度6弱を観測したのは、観測態勢が整った1923年以降初めてで、3日現在も余震が続いている。


◼キャンパスに爪痕
関西大は大阪府内五つのキャンパスで、それぞれに被害があった。広報課によると、中でも被害が大きかった高槻キャンパスでは、体育館の天井が落ち1週間以上の復旧作業に追われた。併設のアイスアリーナでも、天井からボルトやマットなどが約15個落下。当時アイススケート部の学生が練習していたが、けが人はいなかったという。水道水などに濁りが確認されたため、タンクの水を出して対処。地震発生から3日後の21日にはライフラインが全て復旧した。6月29日現在、一部の屋外通路の柱には補強材が取り付けられている。
大阪音楽大の奥真美さん(3年)によると、立てて置いていた数台のトロンボーンがドミノ倒しになった。いずれも故障はなかったが、音量などの調節に使うミュートの中には衝撃でかなりへこんだものも。揺れの直後、大学にいた人で高い位置にあるものは下に降ろし、トロンボーンは寝かせて置くなどすぐに次の揺れに備えたという。同大の他の学生は「マリンバの上に金属の棚が落ちたりピアノの調律が一時狂ったりした」とも話している。
大阪行岡医療大は1週間休校の措置を取った。当日キャンパスを訪れた学生は、複数の場所で割れたガラスや建物のひびを確認。外階段の損傷がひどかったことが印象に残っているという。
追手門学院大は6月22日、公式サイトで学内の安全確認ができたと報告。100人以上の体制で確認と復旧作業に当たったことや、同日午前9時時点で99・2%の在学生の安否を確認したことを記している。

◼大規模地震注意
大阪大理学研究科宇宙地球科学専攻の廣野哲朗准教授は「これは(次に来る大きな地震の)警鐘だ」と指摘する。
大阪府北部には、岸和田市から豊中市にかかる上町断層帯など三つの活断層と、それらから枝分かれした小さな断層が複数存在する。廣野准教授によると、今回の地震は地下だけで断層が動いた模様。地表にずれが生じておらず評価が難しいが、上町断層帯と有馬・高槻断層帯に負荷がかかった可能性は極めて高いという。
廣野准教授は当時、豊中市の自宅で大学に向かう準備をしていた。揺れの直後、初期微動がないことから「直下型でかなり大きな地震」と推測。当日は一時停電もあったが、気象庁や研究所の情報を収集し、会員制交流サイト(SNS)で発信した。「停電時はスマートフォンしか使えず、持っていた携帯ラジオが役に立った。専門家としてではなく一般市民として、携帯ラジオはアナログではあるが災害時に役立つと再認識した」と話す。
政府の地震調査研究推進本部によると、上町断層帯全体が一つの区間として活動した場合、マグニチュード7・5程度の地震が発生すると推定される。廣野准教授は「活断層の分布を考えてまちづくりをすることは、都市形成を考える上で大切。地盤が弱い場所に建物を建てないなど、早急な対処が必要」と主張。また、地震が起きた時のメディアの報じ方について「視聴率を優先するのではなく、市民が本当にほしい情報を伝えなければならない」と指摘した。
◼「頭が真っ白に」
枚方市に住む北山絵梨さん(関西大・3年)は、突然の地響きで飛び起きて、すぐそばの机の下に避難した。
揺れが収まると母親が駆け付けてきて、互いの安否を確認。棚の中で多くの食器が割れていたが、それ以外に大きな被害はなかったという。同窓会で奈良にいた父親とはすぐに連絡がつかず、ひとまず食器棚の扉にガムテープを貼り、次の揺れに備えた。
心配性の母親は「食料を確保しなければ」とスーパーに向かったが午後からの開店に。仕方なくコンビニでわずかに残っていたパンやカップ麺を購入した。
地震から1時間半ほどがたって、ようやく父親と連絡が取れた。大学は20日から再開したが、余震を恐れその日は休むことに。地震以降、数日間はできる限り2階で過ごすよう心掛けた。
普段から家族それぞれの寝室に、飲料水や非常食を詰めたリュックと懐中電灯、ヘルメットを備えているが、それでも北山さんは「頭が真っ白になった」と話す。「近所の人から『ガスが止まった』と聞いて、一時は危機を感じた。揺れの後はひたすら不安だった」と振り返った。
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