【11月号掲載】戦争遺跡 いまも大学に
戦後70年を迎えたいま、かつての戦争を物語る戦争遺跡は貴重だ。そんな戦争遺跡が関西の大学に残っている。
大阪外国語学校の時代から続く大阪大の外国学図書館(箕面市)には、2枚の鉄扉がひっそりと置かれている。1945年3月13日深夜から14日未明にかけて、米軍のB29爆撃機が大阪を襲った「大阪大空襲」。その戦火から、約6万冊の図書を守り抜いた。
大阪外国語学校から改称した大阪外事専門学校は、当時は大阪市天王寺区に校舎を構えていた。大阪大空襲で校舎や運動場にも焼夷(しょうい)弾が降り注ぎ、熱風にあおられた火の粉が窓と窓枠の隙間から書庫に入り込んできた。故白井正教授は、熱風で顔や手にやけどを負いながらも、錆びた金具を引っ張り鉄扉を閉め、図書を守ったという。外国学図書館の書庫3階には守られた図書の一部が「旧分類」とされ、いまも残っている。
戦前、各教育機関に存在した天皇、皇后両陛下の御真影や教育勅語を納めた「奉安庫(奉安殿)」。連合国軍総司令部(GHQ)の政教分離を目的とした神道指令によって解体・破壊されたものも少なくないが、大学に現存しているものがある。
関西学院大では西宮上ケ原キャンパスの旧院長室内に現存。壁にある扉を開けると奉安庫が現れる。御真影の下賜(かし)があった当時の院長C・J・L・ベーツは、奉安庫の方に顔が向くよう自らデスクの向きを変えたと考えられている。
阪大に残る奉安庫は、2010年に行われた豊中キャンパスのイ号館改修工事の際に65年ぶりに発見された。現在は、大阪大学会館に移設、保存されている。
空襲を避けるカムフラージュのため黒塗りされた建物が、神戸大に現存している。前身校・神戸経済大(神戸商業大)の本館で、時計台のある六甲台本館だ。改修工事の際に黒塗りを除去したが、一部は今なおそのまま残っているという。
大阪大文学研究科の飯塚一幸教授は「戦争を実際に体験した世代の語り部が少なくなる中、戦争遺跡は戦争をある意味で身近に感じさせてくれるものと言える」と話した。
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