【特集】阪神・淡路大震災から20年
1995年1月17日午前5時46分52秒――。前例のなかった大災害から今年で20年を迎える。震源に近い神戸市を含む兵庫県を中心に、大阪府や京都府など関西全域で大きな被害が発生。6400人以上の、多くの命が失われた。世界中からボランティアが集まる中、自らが被災しながらもボランティア活動に参加する大学生の姿が。震災の脅威に備える「防災」の意識も大きく高まった。年月の経過とともに、薄れつつある阪神・淡路大震災の記憶。教訓を生かすことは今、できているのだろうか。
災害ボランティアとは
阪神・淡路大震災では、ボランティア活動とは普段縁のなかった大学生も積極的に活動に参加した。日本におけるボランティア活動の歴史を変えた出来事とされ、1995年は「ボランティア元年」と呼ばれる。
東北大学東日本大震災学生ボランティア支援室特任准教授の藤室玲治氏は当時神戸大の2年生。避難者に食事を配ったり、物資を運んだり、高齢者の話し相手や子どもの遊び相手になったりするなどのボランティアを行った。「震災直後は全国から本当にたくさんのボランティアが神戸に来て活動していた。避難所運営の大部分で重要な役割を果たしていた」と当時を振り返る。しかし、4月以降大学生ボランティアは授業開始に伴い次々と神戸から去った。「地元の神戸大生が4月以降の震災ボランティアや日常的な活動の担い手にならなくては」。その思いから、大学生が運営する「神戸大学総合ボランティアセンター」を立ち上げた。活動は現在も神戸大生に受け継がれているという。
行動の正しさ考え参加すべき
震災ボランティアに関する考えは千差万別だ。被災者の助けになるなら気持ちだけで参加しても構わないという意見と、一方でリスクを背負う覚悟、装備や食料がなければ参加しない方がいいという意見がある。
災害時の情報システムを研究する立命館大の仲谷善雄教授は「震災ボランティアは危険が伴うことを必ず意識し、衣食住はもちろん、我が身は自分で管理すべき。強い思いを持って参加することはいいが、自分のしたいことしかしない学生もいる。現地の人が望むことをしてほしい」と注意を促した。
「自分の活動が本当にいいことなのか、立ち止まりながら行動するのが一番」と語るのは震災・復興に関する授業を開講している大阪大の中村征樹准教授。「何も考えず準備もせずに行くのはよくないが、考えすぎて何も行動できなくなってしまうのもよくない」とし「自分がやっていることは本当に正しいのかと常に自覚することが大切」とボランティアの心構えを示した。
形にとらわれない信頼作りを
災害ボランティアに詳しい同大の渥美公秀教授は「今のボランティアはマニュアル的で形にとらわれている」と言う。マニュアルも大切だが、形式にとらわれず被災者を思って行動することも重要だと指摘。さらに、京都大防災研究所の宮本匠さんは「震災ボランティアにおいては信頼関係の構築が大切。ボランティアを作業のように思ってはいないか」と疑問を投げ掛ける。信頼関係を築くには、長期的に活動を続けることが重要だという。
関西の学生を主体に東北へのスタディツアーや防災教育を実施しているInvestor。前代表の東谷拓馬さん(近畿大・3年)は「被災地の子どもに『どうせもう来ないんでしょう』と言われたのがショックだった。継続することに意味がある」と話す。震災直後は学生にできることが限られているため、継続的な活動を行っている。「電気や水など当たり前のものがない。自分は普段恵まれた環境にいる」。活動で実感したことだ。「現地でしか感じられないこともある」と語る東谷さん。「行くからにはそれなりの責任感を持って」。自分中心ではなく、相手に寄り添ったボランティアが必要とされている。
個人での防災 考えて
自分の安全は自分が守る
1995年以降、震災の教訓から防災意識が全国で高まり、多くの大学が避難訓練を行うように。関西大は「関大防災デー」に避難訓練を実施。現在では全キャンパスで同日・同時刻に行い、炊き出しも実施する。また、神戸大はメールによって安否を確認するシステム「ANPIC」を今年度から導入。大学構外にいるときでも、震災が起こった場合に備えることができるよう工夫している。
しかし「大学に自身の防災を任せっ放しにしてはならない」とNPO法人京都災害ボランティアネット理事長を務める吉村雄之祐さんは話す。「大学が行っているのは初動対応のみ。自分の安全をまず守るのは自分自身」。防災には災害予防、災害応急対策および災害復旧・復興の3つが必要とされている。災害応急対策および災害復旧・復興という意識は震災後世間に広まったが「予防に関しては全く手付かず。一番被害を少なくするもののはずなのに」と吉村氏は指摘する。
阪神・淡路大震災の死者のうちおよそ8割が、家具の転倒や天井の落下などにより圧死した。部屋を借りて住む学生は、壁にくぎやねじで家具を固定する対策が取りにくい。だが、家具の下に敷くストッパーや天井の間に挟む家具転倒防止棒などには1000円以下で販売されているものも。家具と天井の間に雑誌を挟み込むことで転倒を防ぐこともできる。他にも窓ガラスに飛散防止シートを貼ったり食器棚の開き戸にロックを取り付けたりと、学生にもできる対策は多い。
人と防災未来センター(神戸市)研究員の菅野拓さんは「避難が必要な時は、とりあえず情報と物資の集まる避難所に行ってほしい。そのためにも家の近くの避難所を知っておくことが必要」と呼び掛ける。さらに「災害時の連絡手段を普段から把握し、家族に一言伝えておくべき」とも。公衆電話や固定電話、携帯電話から日本電信電話株式会社(NTT)が提供している災害用伝言ダイヤル(171)や、比較的復旧の早いインターネットで安否確認のできるGoogle社のパーソンファインダーを例に挙げた。
「(被災時には)普段やっていることしかできない。普段の延長線上」と語る菅野さん。日頃からボランティア関連のNPOやNGOの活動に参加しておけば災害時に力になるという。
「若い人は災害が起こったときエネルギーを作り出せる存在」と菅野氏。だが、けがを負っていては活動できない。自分の身を守るためにも、身の回りの環境を把握し、日頃から震災発生時の行動をイメージしておくことが求められる。
身近な場所でできる災害ボランティア 献血
震災後には、被災地に出向かなくても参加できるボランティアがある。「献血」だ。
提供された血液は、日本に7カ所ある日本赤十字社のブロック血液センターで検査後、輸血用血液製剤になる。近畿ブロック血液センターでは、近畿2府4県に血液を供給。被災地にいなくてもできる支援として、阪神・淡路大震災でも注目された。
しかし、阪神・淡路大震災直後には多くの人が献血場所に押し掛け、採血まで2時間以上待つ場合も。同センター企画課広報係長の村井貴吏(あつし)さんは「輸血に使用できる有効期間は輸血用血液製剤の種類によって違う。使われる量は一定なので、血液の供給が過度にならないようにご協力いただきたい」と呼びかけた。
輸血用血液製剤は4種類。血小板製剤は採血後4日間、赤血球製剤と全血製剤は21日間、血漿製剤は1年間が有効期間とされる。一度採血を行うと、200ミリリットル全献血では男女とも4週間後の同じ曜日、400ミリリットル全献血では男性は12週間後の同じ曜日、女性は16週間後の同じ曜日まで献血できない。
震災時、献血は一斉にではなく長期的かつ安定的に供給されることが望ましい。村井さんは「献血センターに問い合わせ、(供給量の状況を)確認してもらえれば」と呼びかける。
編集後記
厳しい寒さの1月。突然関西を襲った大震災からまもなく20年を迎える。大学生の中には、今年20歳になる人も多い。震災の記憶がほとんどない学生や、そもそも生まれていなかった学生も。映像で見た悲惨な過去は年月とともに薄れ、忘れ去られていく。
現在、阪神・淡路大震災で得た教訓を生かせているのか。犠牲者を追悼する神戸ルミナリエを毎年開催したり、発生時刻や発生日の正午に黙とうをしたりするが、こなすだけの作業になっていないか。では、今このときを生きている大学生に何ができるのだろうか。
ボランティア活動は被災者に喜ばれることが多い。だが、自分の身も守れない人の参加は迷惑になってしまうかもしれない。気持ちも大切だが、参加する前に被災者へ何ができるのか、参加時には本当に被災者のことを考えた活動ができているかを考える必要がある。
また被災時には、避難所や災害時の連絡手段をいつものようにスマートフォンで簡単に検索することはできない。あらかじめ覚えておかないと、いざというときに困ってしまう。
今まさにこの瞬間、自分が被災したらと考える機会は今までにあっただろうか。そう考えながら、阪神・淡路大震災当時から20回目の1月17日を、私は迎えようとしている。
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