不便さがもたらす効用「不便益」を研究する集団がある。京都大の川上浩司(ひろし)教授が代表を務める不便益システム研究所だ。便利さの追求の中で軽視されてきた不便益を用いて新たなデザインを目指す。メンバーはおよそ10人で情報学や心理学、教育学など多種多様な分野の研究者が集まり不便益の理論化や不便益を生かした製品の開発を行っている。
 今まで開発・監修した不便益アイテムで一番の大ヒットは素数ものさしだ。目盛りは素数のみで使用者は隠された数を見つけなければならない。ところが使いにくさが逆に受け一時は売り切れになるほど人気を博した。その他、知的書評合戦として近年広がりを見せているビブリオバトルやスマートフォンのパスワードをジェスチャーにできるアプリなども開発。川上教授は「これらの作品を通じて不便益という考えが世の中に浸透してほしい」という。
 川上教授は京大工学部出身。学生時代は人工知能の研究をし、便利なものだけを追求していたという。しかし同大助教授時代に恩師の片井修教授からの「これからの時代、便利なことだけを追求していては駄目だ」という言葉に衝撃を受け、徐々に不便益の考えを受け入れるようになった。「便利だったらハッピーというわけではない。人工知能の発達によって考えずに済むようになるのが本当に良いことなのか疑問を抱くようになった」。
 不便益の研究をしていると懐古主義とよく間違えられるというが川上さんは「単なるノスタルジーではない」と強調する。「昔に戻れということではない。それでは大学で研究する意味がない」と話し不便の良い部分だけを生かした次の社会を考えているという。
 川上教授は論理学やネットワーク理論といった数学を用いて不便益の理論化を目指してきたが、10年たった今でもいつ完成するかの見通しが立たないという。しかしもし理論が完成すれば、製品に意図的に不便益をもたらしたり、ある商品がなぜ人気があるのかを考察するのに役立つ。「不便益を持ち込めば楽しいハッピーな社会が出来るはず」。まだまだ研究は道半ば。川上教授らの挑む不便益の壮大な研究は始まったばかりだ。
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