伝統と革新の新聞作成
佛教大学新聞局は新聞を毎月発行している。今は積極的に活動している新聞局だが、2年前までは廃部寸前だった。
廃部の危機を救ったのは現局長の梶原敬太さん(佛教大・3年)。入部した当時の局員は3、4年生ばかりでおよそ3人。ほとんど活動はしていなかったため、梶原さんは2年生で局長代理になり活動を再開させた。
まず行ったことは局員集めだ。友達や兼部先に声をかけ、入学式でも宣伝をした。そのかいあって現在の局員は10人。安定して新聞を発行できるようになった。新聞局を立て直すにあたって一番苦労した点は、先輩がいないため新聞の作り方を教わることができなかったこと。取材方法や記事の書き方は本やネットで調べ、紙面構成は大手の新聞を読み、図書館に通って独自で学んだ。
新聞では京都の大学ならではの桜や紅葉などの観光名所、穴場の寺社仏閣などを紹介している。また、局員がいろいろなことに挑戦するユニークな記事もある。最近ではタンポポコーヒーを作り記事で紹介した。お茶のような味でおいしかったという。
佛教大学新聞局は45年の歴史があり、主に1970年代の佛教大学新聞に掲載されている、過去の記事を載せることもある。温故知新の精神だ。他にも学生に対して「校内禁煙に賛成か反対か」というアンケートも行った。校内にパネルを設置し、学生にシールを貼ってもらったところ、結果は僅差で反対多数。梶原さんは「自分はタバコを吸うので中立的に書くのが難しかった」と話した。それでも報道として中立を念頭におき、賛否両論あるネタもよく取り上げている。
新聞は堅いイメージで読む学生が少ないため、興味を持ってもらえるネタを探すことに力を注いでいる。梶原さんは新聞局に入ってから新聞を読むようになり、話のネタの引き出しが増えたという。今後の課題は、後輩局員の能力と行動力の向上。現在は新聞のノウハウを教えるため、図書館で勉強会を行っている。梶原さんは「部室にこもっていても何もできない」と話す。そして、今後も部活存続とクオリティを維持した新聞を発行していくことが目標だ。
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