学生団体やセミナー、インターンシップに参加するなど活動的な学生に対して使われるこの言葉。若者文化に詳しい難波功士教授(関西学院大社会学部)は、本来の意味を「問題意識を持って行動できる好奇心旺盛でポジティブな人々」と定義する。だが他人への誇示や意識が高いと思われたい願望だけで、意識高い人をまねて逆に浅はかさを露呈する学生も多いという。こうした学生は「意識高い系(笑)」とネット上で冷やかされる。  この夏インターンシップに参加し、「意識高い系学生」と交流したAさん(同志社大・3年)は、「高い志があるのは素晴らしいことだが内定が最終目標になっている人が多い」と感じた。頑張っているアピール、SNSへの自分に酔った投稿文。彼らの言動全てが単なる就活のエピソード作りに見えてしまったという。なぜ「意識高い系」を目指す「意識高い系(笑)」があふれているのか。大学のキャリアセンターや企業が「コミュニケーション力」や「即戦力」を売りにした学生ばかりを就活成功者の例として紹介することが背景にある、と難波教授は分析する。「自分もそうなれば就活で成功できると刷り込まれているのでは」。  「行動したという事実を作り評価されたいだけなのか、その行動で自分が何かを得たいのかは、結局面接官に見抜かれる」と京都大出身のBさん(22)は就活時の経験を語る。意識高い系(笑)を鼻で笑い、また逆に自分が笑われているのでは、と気にすることが自らの行動を狭めてしまっていた。「周囲に惑わされず自分がやりたいことに取り組めばいい」とBさん。これが「(笑)」のない真の意識の高さなのかもしれない。—11月号に続く