【4月号掲載】気仙沼 追悼式しめやかに
平日の午後にも関わらず、1700人がそれぞれ震災への思いを抱えながら、会場に訪れた。3月11日午後2時46分。突然の震災によって、東北の人々から何もかもを奪い去ったあの日から丸2年たち、犠牲者に向けて一斉に黙とうが行われた。気仙沼市長の式辞で、市長の菅原茂さんは「1000年に1回の震災なら、1000年分の復興をする」と気仙沼をはじめ、東北の復興に対して力強く語った。続いて遺族代表は、当時の震災の状況などを話し、「亡くなった人の分まで生きる」と意気込んだ。最後には、参加者が献花台に一輪の花を添え、被災者に向けて祈りを捧げた。
慰霊祭を陰で支えていたのは、ボランティア団体IVUSA。関西を含む、全国各地から延べ120人の大学生が集い、昨年に引き続いて車両整理などのボランティア活動を行った。
横田直也さん(立命館大・4年)は「人の幸せが自分の幸せ、と実感できることがボランティアの幸せ」と語った。一方で、気仙沼市が復興してゆくにつれて、町が「ボランティア依存」してゆくことを危惧しているという。そこで横田さんは「もっと気仙沼の漁業が活性化すれば」と複雑な心境をあらわにした。
「昨年の慰霊祭では、自分の身辺の問題のせいで無我夢中だった」と現地の女性は語る。そこで、今年は悔いが残らないように、と参列した。なお、まだ行方不明のままの知人も数多く残っている、と打ち明けた。「今後は、復興のために気仙沼にもっと若者が増えてくれれば」と願いを込めたという。
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