仙台市若林区出身の武田さんは関西に来て今年で3年目。春休みに入り、帰省先の宮城県で被災した。地震が起こった時は、大学の友人と松島で観光中。海沿いの定食屋にいた。「会計のため席を立ったところ、突然激しい縦揺れがきました」。立っていられないほどの激しい揺れが4,5分続き、柱の下で頭を抱えてうずくまった。揺れが収まった後の店内は割れた食器が散らばり、ひどい有様だった。「建物が倒れるんじゃないかと不安でした」と振り返る。

その後、避難所で一夜を明かし、翌日の昼ごろ、両親の運転する車で仙台市の実家まで戻った。道中、建物の一部が突き刺ささっている車や倒壊したビルなど、被害の甚大さを味わった。実家は9階建ての鉄筋造。津波の被害もなく、壁に少しヒビが入った程度。家の中も、小さな家具や仏壇は倒れていたが、それ以上の被害はなかった。年1,2回は震度4か5位の揺れが起こる仙台。「みんな、地震への備えはあったと思う」と話す。しかし、現在、仙台では物資が不足している。どの家も食料が底を尽きかけ、店の在庫ももってあと2,3日。中には食料を求めて避難所へ行く人までいるという。「食料、ガソリン、ガスコンロ…。とにかく、物資が欲しい」と切実さを滲ませる。

電気不足のため、安否の連絡も控えた。今も安否が確認できない友人や知人がいるが、「私みたいに、電気がなくて、連絡できないケースも多いと思う。安否確認が取れていない人が多いが、希望をもって欲しい」と健気に訴える。