同志社に通う20人以上の学生が負傷し、将来のある3人の尊い命が奪われた。本来ならばうち1人はこの3月に卒業し、他の2人も4年生として大学生活を送っているはずだった。

脱線事故から3年が経つ。時間は遺族には深い悲しみを残しつつ、世間に対して事故に対する記憶を風化させてゆく。八田英二学長は「命の尊さ」を語った。「人生に絶対はないが、1つあるとしたらそれは死だ。いずれ死ぬからこそ、どう生を充実させるかを考えてほしい。そして自分の生だけでなく、他の生も尊重するべきだ」。「諸君よ、人一人は大切なり」という創設者・新島襄の言葉を最後に添え、参加者に訴えた。

式に参加した学生は「事故はいつ起こるか、自分はいつ死ぬか分からない。そう思うためにも追悼式は続けるべき」、「追悼式に参加する学生が少なくて残念。京田辺の方が多かった。参加者が減っている。事故は忘れたくない」と話す。

死者の中に社会学部メディア学科の榊原怜子さん(当時1年)がいた。当時教員だった佐伯順子さんは「事故はとてもショックで、信じられなかった」と話す。3年経った今でも被害者は生きていて、共に大学生活を送っている印象を持つ。その想いはむしろ年々強くなっている。「追悼式は事故を思い出す良い機会、ぜひ続けてほしい」と佐伯さんは願う。

社会学部には毎年、遺族から本が送られてくるという。被害者が生前興味のあった分野の本で、学生も利用できるFaith文庫に収められている。遺族は被害者の思い、意思が受け継がれることを願っている。