事故調査委員会は同事故の原因に関する最終報告書を今年6月28日に発表した。同報告書では、事故を起こした列車の運転手のブレーキ使用が遅れて生まれた脱線事故であると結論づけられた。その事故調査委の調査では、不明瞭なところ、不足しているところを山口教授ら専門家が独自に調査しそれを発表する場として同シンポは開催された。
 同シンポに同事故負傷者の林浩輝さん(同志社・4年)が講演者として出席。林さんは事故について「人生を変えさせられる出来事だった」と事故の悲惨さを来場者に訴え、「この事故を風化させたくない。(社会に訴えていくことを)自分自身が生きている以上、僕はそれをやっていこうと思う」と話した。

(以下発表順)
<<事故を科学的に分析 山口栄一・同志社教授>>
 事故が起きた現場付近は半径304mの急なカーブが続いている。山口教授は物理法則を用いて事故を分析し、電車にかかる負担が大きいこのカーブが事故の原因の一つとした。沿線には幅が広い市道が通っており、線路を引くための用地買収が容易なことを指摘し、「半径600mのカーブにすることも可能だった。社員の中で誰もそのことを言う人がいなかったのか」と話し、JR西日本の企業としての社会的責任を追及した。
 山口教授は列車が転覆する限界の速度を、JR西日本が運転手に通達していなかったことも指摘。「組織における科学的思考能力の欠落こそ、この事故の根本原因である」と結論づけた。

<<運転士管理方法の改善を 石黒武彦・同志社教授>>
 鉄道技術の向上により、運転手の技術が向上していることに関しては、石黒教授は評価。現在、拠点間を最短で結ぶため最適な運転方法を推し量り操作することを運転手は求められている。JR西日本が発行する運行表を基準にして列車は運転されているが、不明瞭なところが多く、実際には運転手が自分で運行表を別に作成していることを指摘。「そうしないといけない現状はまずいのではないか」と訴えた。石黒教授はコンピュータにより最適な運転システムを作成し、それにより作られた運行表を運転手に渡すことを提案した。
 「既成のものが最適で完成度が高いものである保証はない」と話し、JR西日本は社会的責任軽減できるよう努力すべきであるとした。

<<事故調の課題挙げる 佐藤健宗・弁護士>>
 講演の中で佐藤弁護士は事故調査委が持つ問題として、事故調査委の調査官や事務官が国土交通省内をローテーションで人事異動していることを挙げた。このような状況を解決するため、「事故調査機関は独立性を持つべき」と佐藤弁護士は話した。

<<被害者の母として 三井ハルコさん>>
 ご息女の三井花奈子さん(同志社・3年)が同事故の被害に遭った三井ハルコさんは鼻炎で思うように声がでない中、講演した。
 三井さんは、川西市にあるパレットかわにしで同事故関係者が話し合う場「つどい」など、自身が副理事・事務局長を務めるNPO法人「市民事務局かわにし」の脱線事故に関する取り組みを紹介。事故に関連して、「専門家、一般の人が(事故の解決に)協力できる場を作れる土壌がある」と話し、来場者に協力を促した。
 被害者の母として、「子供が隣に座っているだけでありがたい」と来場していた花奈子さんを見る三井さん。続けて、「自分たちができることを、世論を巻き込みながらやり続けていきます」と目に涙を浮かべ、話した。

<<負傷者から見た脱線事故 林浩輝さん(同志社・4年)>>
 「林くんの体験、シンポの感想を語ってくれ」。山口教授の誘いを受けて林さんはシンポの参加を決意した。
 当時2年生だった林さんは大学に行くため、事故列車の運転席の真後ろに乗車し、事故に遭った。約20時間後に助け出されたが、長時間圧迫された状態が続いたため、両足が壊死。両足を切断しなければならない重傷を負った。「自分の負った怪我に立ち向かえなかった」と当時を振り返った。入院中は大学の特別措置により、病室でレポートを作成し単位を取得していた。
 林さんは来春卒業し、社会に出る。これまでの2年半を振り返り、「(事故があった、怪我をしたという)事実を乗り越えることができたのは家族や知り合いのおかげ。一人では乗り越えることはできなかった」と話し、「社会でチャレンジできることに生きがいを感じる」と現況を噛みしめた。
 事故の悲惨さを伝えるため、テレビ、新聞、シンポなど精力的に活動するつもりだ。「自分ができることをする。それが義務だし、使命だと思っている」と話す。

<<ご息女が被害に 宮崎雅巳さん>>
 「昼食時、テレビを見ると同事故についてやっていた。すぐに娘に電話をかけたが、いつもは通じるが、その時は通じなかった。事故に遭ったと確信した」。宮崎さんは当時を振り返る。
 ご息女の宮崎千通子さんは事故車両の2両目に乗車し、被害に遭い、10か所近く粉砕骨折する重傷を負った。リハビリを繰り返し、現在では自力で歩行できるようになったが、火災警報が鳴ると当時を思い出し死の恐怖に襲われるなど後遺症に苦しんでいる。
 宮崎さんは同事故について「絶対に起きてはいけない事故」とし、「事故の風化防止のため、(JR西日本は)的確な手を打って欲しい」と話した。