脱線事故乗り越え演奏
脱線した電車の一両目に乗っていた山下さんは伊丹市の実家からの通学途中に事故に遭い、約18時間後に救助された。「救助隊の人に発見されるまでは孤独感があった」。すぐに病院に搬送されたが、長時間の圧迫で両足の筋肉が壊死するクラッシュ症候群と診断された。
そこから、山下さんの約10カ月間にわたる入院生活が始まった。大学を休学し、苦しいリハビリに励む日々。だが、そこで大きな出会いがあった。もともとミュージシャンになりたいと考えていた山下さんだったが、「今のような形で本気でやろうと思ったのは入院中のこと」。同じように、音楽をしていた経験を持つという理学療法師が夢を目指すことを勧めてくれたのだ。
去年2月に退院後、すぐに山下さんは「言葉」という詞を書いた。「自分一人で悩んでいることを抱えないで、周りの人に思いを打ち明けていくことで変わるんじゃないか」。自身の経験をもとに作詞した。続いて、「君と歩く道」という詞を作った。「『君』というのは僕から見て支えになってくれた人でもあるけど、今度は僕が相手から見た『君』になってあげれたら」。事故の悲惨さを伝えたいんじゃない。皆に前向きに生きることを考えてほしい。いずれの詞も知人に作曲を頼み、山下さんオリジナルの曲が誕生した。
「サロン・デ・サンスイ」は山下さんが病院関係者らと退院祝いをした思い出の場所でもある。七夕の日、その場所で山下さんは自作の2曲を含めた計5曲を歌った。「(気持ちが)伝わってくれたらいいですね」。コンサート終了後、山下さんは訪れた友人、支援者などと笑顔で話をしていた。
去年4月に復学し、大学近くで一人暮らしを始めた山下さん。依然、杖を使った生活が続いている。山下さんは「今後もこういう活動(コンサート)を続けていきたい」と話している。
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