西尾章治郎総長

 はじめに

 大阪大学に入学、進学されました学部、大学院の学生の皆さん、おめでとうございます。

 本日、11学部において3416名の学部学生、大学院16研究科の博士前期課程、博士後期課程において2966名の大学院生の皆さんが、晴れて大阪大学の一員となりました。大阪大学総長として心から皆さんの入学・進学を歓迎いたします。

 また、これまで長年にわたり、成長を温かく見守り、勉学を支えてこられましたご両親やご家族の皆さま、心からお喜びとお祝いを申し上げます。

 さて、本学は、一昨年度実施の入学試験において、出題及び採点の誤りという事態を引き起こしてしまいました。

 このことで、当事者の学生の進路に極めて大きな影響を及ぼしてしまい、当該学生やご家族をはじめ、関係する皆様に多大なるご迷惑をお掛けしました。改めて深くお詫び申し上げます。

 ここで、本学での勉学の道を選ばれ、本日この会場にいらっしゃるすべての皆さんに対して、私が大阪大学総長として確実に実践しなければならないこと。それは、皆さんが、幅広い見識に基づく教養と、高度な専門知識を身に付け、「大阪大学に入学して良かった」と心の底から実感できる学生生活を送っていただくこと。そのことが最も大切であると考えています。

 そのために、私たち教職員一同は全力を尽くしてまいります。

 「大阪」の人々の心に流れる意識

 これから皆さんが学ぶ、大阪大学の礎について、お話しします。

 大阪が「大大阪」と言われ、世界有数の商業都市であった1931年、今から87年前に、本学は帝国大学の一つとして創設されました。当時の政府は、京都にすでに帝国大学があるため、距離の近い大阪に、帝国大学を新たに設置することに難色を示しました。

 しかし、大阪の経済界、自治体、そして、市民の皆さんが一丸となって政府へ働きかけ、その創設が実現しました。「大阪大学は市民によってつくられた」と言われる所以です。このことをもう少し、掘り下げてお話しします。

 作家の五木寛之さんは、「日本人のこころ(第1巻)」という著作の中で、「京都は前衛都市である。大阪は宗教都市である。」と述べています。皆さん、「大阪は宗教都市」と聞いて、意外に思われたことでしょう。

 今、皆さんがいらっしゃる「大阪城ホール」に入場する際には、天守閣も見えたことと思います。しかし、大阪城が築城される前、ここには、「石山本願寺」という寺院がありました。今から500年以上前のことです。

 本願寺八世であった僧の蓮如が、まだ何もなかったこの上町台地を訪れ、後に石山本願寺と呼ばれる大坂御坊を建設します。そして、その寺を中心として発展した「まち」、つまり「寺内町」が大坂の源流です。

 寺内町の商人達は、日銭を稼ぐ生活に、何か後ろめたさを感じておりました。しかし、蓮如は、そのような引け目を感じることなく商いに励み、そのことに誇りを持ちなさいと教えます。こうした教えに安堵した商人達は一生懸命励み、儲かれば、その利益を世のため人のために還元するようになります。いわゆる「おたがいさま」の考え方です。

 従来の仏教施設は、公家や将軍が土地を寄進し運営するといった公による運営体制が主でした。しかし、ここ大阪では、「同朋」という共同体意識に基づく、民間の共同出資ともいえる運営体制により、身分階級を超越した形で、商人の力によって繁栄していきます。

 時の権力者である織田信長は、この繁栄している石山、つまり上町台地を重要な地と考え、石山本願寺に土地を明け渡すように迫ります。しかし、石山本願寺は抵抗します。「石山合戦」と称されるこの戦は10年間にもわたりました。それほどまでに信長が攻めあぐねた、その理由のひとつは、「同朋」の強い結束があったのでしょう。

 大阪の人々の記憶の深層には、この「同朋」、すなわち共同体意識があり、「おたがいさま」の精神の系譜があります。それが大阪大学の源流にもつながり、今の大阪大学の土台となっているのではないかと私は考えています。

 「大阪大学」の源流

 大阪大学の精神的な源流は、江戸時代に創設された「懐徳堂」と「適塾」に見出すことができます。二つの学問所は幕府や藩によって設置されたのではなく、市民による市民のための学校として設立されました。

 「懐徳堂」は、世の乱れを案じた大坂の五人の有力商人、いわゆる「五同志」が、共同出資により、江戸時代中期に開設した学問所です。豪商が出資した学問所にもかかわらず、志さえあれば、誰でも入門が認められており、受講料についても、「貧しいものはほんのわずかな紙や筆でも納めればよい」という緩やかなものでした。まさに、先の「おたがいさま」の精神がここにも息づいていました。

 時が経過し、明治期に入り日本が西洋思想に急速に傾き、日本人としての精神的な基盤を見失いそうになったとき、懐徳堂の復興を実現させたのは、やはり市民の力でした。

 今は、懐徳堂跡地にその石碑を残すのみですが、先の大戦の戦火を免れた多くの貴重な資料が本学に受け継がれています。

 一方、「適塾」は、町医者で蘭学者の緒方洪庵が江戸時代末期に開いた私塾で、そこからは、医術の枠を大きく超え、幕末から明治に、近代日本の国家形成に関与する幾多の人材を輩出しました。

 洪庵は教えの中で、「病める者に対しては唯病める者だけを見なさい。その人の身分や階級、経済的な貧富の差を考慮してはいけない。」と説きます。

 このように、洪庵は、医者という専門家としての心得を端的に言い当てており、この精神は、本学の医学部に引き継がれております。

 皆さん、ぜひ適塾に足をお運びください。穏やかな、しかし、凛とした空気に背筋が伸びることでしょう。畳に座り、自分の目標を心に唱えてみてください。日本の近代化を支えた諸先輩方の息吹が、あなたの背中を押してくれるはずです。

 2007年に大阪大学と大阪外国語大学は統合しましたが、その大阪外国語大学の前身である大阪外国語学校もまた、海運業を営んでいた実業家の夫人からのご寄附により設立された学校です。

 このように、大阪大学は、現在までの長い歴史において、国立大学でありながら、一貫して市民に支えられ、地域社会と結びついた「市民主導の、市民のための大学」ともいえる、他に類を見ない個性を持った大学です。そのことを、皆さんにはまず覚えておいていただきたいと思います。

 大阪大学の教育理念

 さて、人類は、地球環境の悪化、資源の枯渇、宗教や民族間対立など、地球規模の複雑な課題に直面しています。また、科学技術、特に最近では人工知能や情報ネットワーク技術などの急速な発展は、人々の暮らしを豊かにする一方で、産業構造、社会構造の転換を導き、数年後の展望すらままならないほどの大きな影響、光と影をもたらしています。

 こうした社会の大きな変革期では、あらゆる「知」を有する大学に大きな期待が寄せられています。近代日本の黎明期を支えた適塾の先達のように、大阪大学で学んだ学生たちには、社会の大きな変革の中で明るい未来を築きあげていく役割を担っていってほしい。その時には、民族、国籍、性別、宗教などにおける多様性と、そのもとでの異なる価値観を理解し、認め合ったうえで、真実を追求してほしい。

 そのためには、自らの専門性だけに閉じこもらずに、幅広い知を取り込むオープンなマインドと、俯瞰的な視野で物事を見て、考える力が必要です。自らの専門性を他の専門性と組み合わせ、新たな「知」を生み出す力が強く求められています。その素地となるのが、本学の教育理念でもある「教養」「デザイン力」「国際性」です。

 大阪大学では、これら三つの能力を育む教育と環境を十分に備えています。皆さんが、この大学を巣立つときには、それらが当たり前のように備わっていることを、私たちは確信しています。

 大学生活という貴重な時間

 さて、皆さんがこれから大阪大学で過ごす数年間は、皆さんの人生に大きな影響を与える時間になります。

 詩人の長田弘さんは、「なつかしい時間」という文章で、このように書き留めています。

 人生の特別な一瞬というのは、本当は、ごくありふれた、なにげない、あるときの、ある一瞬の光景にすぎないのだろう。そのときはすこしも気づかない。けれども、あるとき、ふっと、あのときがそうだったのだということに気づいて、思わずふりむく。

 大学生活という限られた時間において、さまざまなことに挑戦する勇気は確かに大切です。そして、さらに重要なことは、ごくありふれた日常をいかに過ごすのか、ありふれた日常と本気で向き合えるのか、ということだと思います。そうして過ごしていく日常の積み重ねの中に、特別な一瞬や、皆さんの一生を決めうる貴重な出会いがあるはずです。

 どうか、これから始まる学生生活において、皆さんのこれからの長い人生の糧となる、素敵な出会いが待っておりますように。その出会いに気付く、鋭い感受性を日々研ぎ澄ましつつ、皆さんの日常が喜びと楽しみとときめきに満ち溢れますように。

 そして、数十年がたった時、「大阪大学で学び、あの出会いがあってよかった。自分は、大阪大学を選んでよかった。」と心から思ってくださいますように。

 皆さん、一緒に大阪大学で学んで行きましょう。

 本日は、誠におめでとうございます。