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本紙1面最下段に掲載しているコラム、「峻坂」(しゅんぱん)です。
そのとき、そのときに思ったこと、また、時事問題から考えさせられたこと、
そして、日々つらつらと思っていることを、それぞれの記者が書き綴っています。
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■お詫び 2005年7月14日に学内で発行しました本紙7月号のコラム「峻坂」にて、社会的に配慮を欠いた 表現がありました。お詫びします。2月号以降のコラム「峻坂」も順次ホームページ版に 掲載していく予定ですが、7月号に関しては該当部分を削除して掲載させていただきます。 今後このようなことが起こらないよう、編集部では知的障害者の方々に対する認識不足を改め、 徹底した事実確認と記事のチェックを行っていきます。 大阪外大ニュース編集部
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2005年
| ▽1月号 | ▽2月号 |
2004年
| ▽1月号 | ▽2月号 |
| ▽4月号 | ▽5月号 |
| ▽7月号 | ▽10月号 |
| ▽11月号 |
05年2月号
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▽「着物、着たい」。ふらっと立ち寄った京都のリサイクルの着物屋で一枚の着物と帯を買った。着付け知識ゼロだが強い衝動に駆られた。本を見ながらなんとか帯を締め、草履も履く。そうして週末の一日を家の中で過ごしてみる。慣れない事で疲れを覚えたが穏やかな時間の流れにいる自分を感じた
▽近年アンティーク着物のブームでファッションとしての着物が見直されている。ほんの50年程前まで当たり前のように日々の暮らしは着物と共にあったのだ
▽正月に帰省したとき祖母の桐箪笥を見せてもらった。長年土産屋や喫茶店を営んでいた頃の祖母の日常着は着物。大事にたとう紙に包まれたおあつらえの着物の一枚一枚に祖母の思い出があった。「昔は着物の似合うママさんで通っていたのよ」そんな祖母も今はもう滅多に袖を通すことはない
▽昔の日常着としての着物は戦後姿を隠し始め、現代の日本人にとって着物とは成人式などの特別な機会にしか着ない民族「異」装、という位置づけになってしまっているのだろう。「非日常」着だとしても、着物の魅力に触れる機会には普段とは違う時間の流れを自由に感じたい。この春私はその機会を祖母と楽しみたい。
【塩口舞】 ↑TOP↑ |
05年1月号
| ▽「もう今年は何も起きないだろう」。昨年末そう思っていた矢先、インド洋大津波が発生した。被害は甚大で死者は15万人を越えた ▽心が痛む。しかし遠い異国のこと。映像だけではなかなか実感が湧かない
▽そんな中、年が明け、また「あの日」が巡ってくる。神戸で生まれ育った人々にとってその意味はいうまでもない ▽一方、そうではない人々にとってあの日はどう写るのであろう。津波と同じように実感が沸かないも仕方ないかもしれない。あの日が巡ってきても「関係ない」と思う人もいるだろう
▽しかし、外大からほんの1時間ほどのまちであの日から多くの人の運命の歯車が狂った。火に包まれる我が子を助けられず、切った髪だけが残った人。「逃げて」と言われ、何もできないまま親を失った人。家を失い、夢を断念した人。故郷に戻れなくなった人。まちにはこの角にもあの角にも様々な悲劇が刻まれている
▽皆多くは語らない。でも「あの日」を心の中で抱き締めている。そんな隣人を前に「関係ない」と言えるだろうか。具体的に何かできるわけではない。せめて「あの日」だけでも彼らに目を向けてほしい。1月17日…今日で震災は丸10年を迎える。
【吉永智哉】 ↑TOP↑ |
04年11月号
| ▽「どうなんやろうねえ…」高校時代の友人がよく言っていた言葉だ ▽話をしていて、明確にどう言っていいか悩むとき、また慨嘆するときなどに、しばしばこう口にしていた。おそらく、彼女としては何気なく使っていた言葉だろう。しかし私は今も、彼女がそうぽつりと漏らす口調をまざまざと思い出せる
▽思えば私の歩いてきた道は、この曖昧で、しかししみじみとした言葉に彩られてきたような気がする。彼女のこの言葉を聞きながら高校生活を送り、いつしか違う進路を選び、春、彼女は地元に残り、私は大阪にやってきた。彼女とは今は連絡もあまり取っていない
▽だが、彼女の言葉だけはいつも側にある。例えば勉強の合間に、下手な料理をしているときに、ふと耳に浮かぶ。彼女のどこか不安げな口調を思い出しては苦笑し、懐かしく思う。彼女を思い出し、同時に高校時代を共に過ごした友人達を思い起こす。一人一人の顔を思い出し、今どうしているだろうと考えてみたりする
▽悩みは尽きない。落ち込むことも嫌なことも沢山ある。だが、私はきっと何年かあとも、息を切らしながらふと歩いてきた道のりを思い返し、「どうなんやろうなあ」と呟いていることだろう。
【上田七絵】 ↑TOP↑ |
04年10月号
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▽「また明日!」小、中、高と慣れ親しんだこの言葉、大学に入ってから使うことが少なくなったように思う
▽この夏、「近くて遠い国」韓国へ行き、現地の青年達と交流活動を行う機会に恵まれた。キャンプファイヤーを囲みながら互いに文化発表を行い、楽しい一時を過ごした
▽中でも、向こうがパフォーマンスの一つとして披露してくれた歌が印象に残っている。日本の人気歌手、Every Little Thingの「またあした」だ
▽「また明日。」出会ってすぐ別れなければならない私たちにとって、日本と韓国はとてもこのセリフ自然に言える距離ではないだろう。いくら近いと言ってもだ。しかし彼らは、敢えてこの曲を選び、慣れない日本語で一生懸命練習し歌ってくれた。日本では聞き流していたこの曲だが、彼らが歌っているのを聞いて非常に素晴らしいと感じ、同時になぜか涙がこぼれた
▽人と人の心を結ぶのに物質的な距離など関係ない。「近づきたい」という彼らのメッセージを私たちは十分受け取り、共感した
▽これからも、違う国にいる会えない友達ともっと交流を深めていきたい。もちろん、「また明日!」が言える近くの友達との今も大切にしながら…。
【林千尋】 ↑TOP↑ |
04年7月号
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▽蒸し暑い季節になった。外を歩くだけで、シャツが身体にはりつく。このような時、昔は木陰に腰を下ろしたものだったが、今は様子が違ってきた。建物に入る
▽昨年度のオープンキャンパスの事が目に浮かぶ。D棟大講義室には空調設備もなく、学生らのうだる様子がうかがえた。専攻別の説明会では大型扇風機が首を振り、随分と滑稽に見えた。しかし、それも今では昔の話だ。昨今、大きな建物は空調完備が当然と考えられるようになってきた
▽建物に入った時、ヒヤリとした感覚が得られず冷房の効果に不満を持った事がある人も多いのではないだろうか。人はこの時、肌が感じるクールな感覚を貪欲に得ようとしている。肌が心地よく感じる温度ばかりを「快適」としているように思う
▽しかし過度の冷房は、様々に体調を崩す事になる。風邪はもちろんの事、自律神経まで狂わせる可能性もある。知覚できる「快」そのものが、実は既に極端の域にあるのかもしれない。身体が真に「快」の状態にある時、何も感じていないのが実際ではないだろうか
▽ヒヤリとした感覚は、違和感の裏返しに過ぎないとも言える。知覚できない所に隠れる「快」について考えておきたいものだ。
【入江敦央】 ↑TOP↑ |
04年5月号
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▽雨が苦手。あの独特のにおいが苦手。あの独特の感触が苦手。しかし、いくら苦手と叫んでも、それでも雨は降る。降らなければ私たち生き物は生きることができない。雨は「恵みの雨」だから。
▽「五月病」という言葉がある。誰が言い始めたのかわからないが、うまい表現だと思う。新入生にとって、確かに5月は一番辛い時期だろう。4月は気持ちが高揚していて気づかなかった、様々なことが見えてくる。自分の思い描いていたキャンパスライフとのギャップもあるかもしれない。また人間関係で悩み始める頃かもしれない。教授、先輩、友達…苦手な人は誰にでもいる。しかし、いくら苦手と叫んでも、どこにいても人に関わる。人に関わらずには私たち人間は生活することができない。人間関係は「必然」だから。
▽考えてみた。苦手な人でも必ず尊敬すべきところ、魅力的なところがある。私は苦手な人でも嫌いにはなれない。
▽突然雨が降ってきて傘を持っていないとき、私には絶対にしないようにしていることがある。「下を向いて小走りすること」。どんなに大雨でも私はまっすぐ前を見て堂々と歩く。
▽もうすぐ梅雨の季節。あなたなら、こんなときどうしますか。
【新川佳那恵】 ↑TOP↑ |
04年4月号
| ▽春は変化の季節だ。照りつける陽光もより一層朗らかさを増す。空もきりりとしまった抜けるような青からもやがかるやさしい水色に変わる。まちを歩く人たちも黒から淡い色々へ装いを変える。そして芽吹いた桜もあっていう間に散って若葉が芽吹く ▽私たちも変わってゆく。「別れ」と「出会い」。わずか一週間の間に卒業する先輩を送り出し、入学する後輩を迎える。わかっていることだけど別れるには時間が短いし、出会いは「突然」やってくる ▽さてこの春はいつもとちょっと違う。大学は学生が入れ替わるだけじゃない。大学自体が大きく変わった。もちろん突然ではない。法人となり学長も教官も職員も公務員でなくなり「一職員」。となった。ただ「突然」人は変われない。急に企業の経営感覚もってといってもが実情だろう ▽そして僕たちも大学が変わる以上、学生自身の価値が大学の価値に繋がるとより認識しなければならないのではないだろうか。だが、職員でも戸惑いがあるのに学生が「突然」そんなこといわれてもが実情だろう▽しかしだ。「突然」と言いつつも「わかっていた」はずである。ここで甘えてまたいつか「突然」を口にするのか。変化のスピードは想像以上に速い。「突然」はまたすぐやってくる。 |
04年2月号
| ▽「おはようございます。検温です」目をこすり、体温計を脇の下に入れるとまた意識が飛んだ。体温計の音で再び気がつく。外はまだ暗いようだ ▽初めて入院した。朝6時起床、夜9時就寝。ここの生活サイクルは健康そのもの。自分の不規則なサイクルはなかなかかみ合わない。1日、管につながれているだけ。食事がないので生活の中にリズムがでない。食べられないのがほんとに辛い… ▽皮肉なことに入院してから体調は急に快復した。寝てしまえば1日早く済むのに起きていると1刻たつのが長い。時計がないと時の感覚が麻痺する。食事を普通に抜いたりするが、腹時計ではないけど食事が1日のリズムを作っているのだ ▽普通に食べられない、外に出歩けない。白い天井、巨塔のようにそびえ立つ白い壁。視線の先にはそれしかない。「普通が恋しい」 ▽3日後、「明日から食事ありね」医者の言葉を噛みしめた、しっかりと。たった1杯の三分粥。甘かった。口の中で唾液と混ざりあう。米粒を転がす。恐る恐るだが食事を楽しんだ。普通がいい、早く普通に戻りたい。「お大事に」と言われたい ▽牛丼が食べられないのが何だ。ごはんが食べられる。入院した僕にとってそれだけでいい。 |
04年1月号
| ▽就職活動の必須アイテム、履歴書。これに「外大生」と書くことが、嫌でたまらない。専攻語はおろか英語さえ満足に話せない私。読み書きするのにも辞書と首っ引き ▽あれほど学びたかった言語なのに、将来をかけるつもりだった受験なのに、だ。外国語が嫌いなわけでは決してないが、基本を学んでしまうとその先へ進もうと思えなくなった。授業放棄が増え、空いた時間は取材に使ったりしていた ▽大学を辞めるという道もあったがそうする勇気はなく、大学をただの身の置き所として捉えようと決めたのが2年の夏 ▽逃げでしかないことは分かっているが、それでも余計な焦りは消えた。代わりに私に欠けていたもの―広い視野や自分の意見を持つこと―を、少なからず身につけることができたと思う ▽胸を張って「外大生」と言えない自分に気付いた時は、性に似合わずヘコんでしまった。いやしかし、外大生としてのステータスを犠牲にして得たものをこんな時にこそ生かさなくてどうするのだ ▽そう考えると前向きにもなれた。次こそは逃げないように、自信を持って「○×社の者です」と言える人になれるように。広い視野を持って最適の仕事を探し、そして手に入れたい。 |
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(C)大阪外大ニュース編集部