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女コラが熱唱
西前四郎さん(昭和35年卒・インド語学科)は山岳部の創立メンバー(昭和32年創立)。在学中に「もしかある日」を作曲したが、平成8年に亡くなるまでその著作権などを口にしたことはなかったという。 この曲は、フランスの登山家ロジェ・デュプラの詩にルーツがある。山岳紀行家の深田久弥さんが翻訳したこの詩を、西前さんはさらに短く訳し直してメロディーに乗せた。大外大山岳部の中では「西前さんの作品」として知られていたが、一般には作者不詳または深田さんの作詞として知られ、歌詞自体も元の「もしかある日」ではなく「いつかある日」に変わっていった。 それが今回、西前さんの後輩である保野たけとさんらの手によって真相が広まることに。まず山の情報誌「岳人(がくじん)」に経緯が紹介され、その後、産経新聞にも取り上げられた。 広めることにしたきっかけは、西前さんが亡くなって1年ほど経った頃の追悼登山。滋賀県は比良山の山小屋で1泊した時、西前さんの思い出話になった。「西前さんも亡くなったし、自分たちも年をとって、この歌を知る人が少なくなってきた。(西前さんの曲として)一般にも知ってもらいたい」という思いから、動き出すことにしたという。 女声コーラス部は定演のプログラムを終えた後、ロビーに移動し、観客の目の前で「もしかある日」を披露。部長の堂本みゆきさん(英語・2年)によると、きっかけは「山岳部OBの人と知り合いの人がいて、そこから歌のことを知ったこと」。プログラムに組み込む暇もないほど急なことで練習が大変だったと言う。それでも、登山家たちが歌うのとはまた違った女声の響きに、山岳部OBは一緒に口ずさみながら懐かしんでいる様子だった。 妻の西前幸代さんは「歌はとっくの昔に一人歩きしていたので、思いがけない形で聴けて嬉しい。みんなの中で生きていたんだと思いました」と感想を述べた。女子が歓迎されなかった当時の山岳部の中で、こっそり山へ連れて行ってもらったという幸代さん。しかし、四郎さんがこれを歌ったり、曲について話すのはほとんど聞いたことがないと言う。今回、後輩に歌われて「(四郎さんは)びっくりしているでしょうね」と笑顔で話した。 時代とともに大外大も変化し、山岳部も今ではなくなってしまった。しかし、当時の山岳部部員たちは今も懇親会を開くと言う。山岳部OBの西川毅さん(昭和34年卒)は「OB会の時にはこの歌でおひらきにする。部歌だから」と歌にかける思いを語った。
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