【3・4月号掲載】コラム 知恵袋

〈I was bornさ。受身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね〉。夏の宵、寺の境内を父と歩いていた少年が、身重の女性とすれ違ったときの感覚を記した吉野弘さんの散文詩「I was born」。故郷へ向かう鈍行列車の中で思い起こしていた。

初めてこの詩を読んだとき、I was bornというフレーズが悪い方向に独り歩きしていた。僕は生まれさせられたのだから、自分の悩み事の原因は僕にない。産んだ側にあると。テストの点数が伸び悩み、部活動での結果も芳しくなかった高校時代、鬱憤(うっぷん)を晴らそうと親によくこの短文を使っていた。僕の問題のすべては君たち2人にあるのだよと訴えかけるために。

列車は見慣れた町を目指す。列車の揺れに合わせ、19歳の思考は一つの答えを導く。I was born.この構文は動作主を明示していない。そのことがかえって動作主の存在感を高めている気がする。動作主は親だけでないはずだ。僕自身なのかも。先生に、友達に……僕を育んだ全ての存在に感謝するため、この言葉があるのではないか。

やがて列車は速度を落とし、故郷のホームに滑り込む。I was born.今は笑顔で言える。やはり「人間は生まれさせられる」のかもしれない。自分を含む「見えない動作主」によって。だからこそ感謝の気持ちを忘れず、自分で人生を切り開いて行きたい。【西崎啓太朗】

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