【3・4月号掲載】意識し続ける「専門家の役割」  今中助教の軌跡

京都大原子炉実験所(大阪府熊取町)で研究を続けてきた今中哲二助教が3月に定年退職する。1973年に始まった四国電力伊方原発の原子炉設置許可取り消しを求めた訴訟以来、同僚の研究者らと市民向けの自主講座を開いてきた。

大学で原子力工学の道に進んだのは、最先端技術に引かれたことがきっかけ。東京工業大の院生時代から、日本の原子力政策の在り方に疑問を感じ始めた。当時は原子力発電所の建設が進められ、建設候補地に行く機会もあった。地元住民から「なぜ国や電力会社は金を払って安全なものを都会から離れた場所に造るのか」と言われたことが印象に残っているという。

しかし、今中助教は初めから原子力工学の研究者を志していたわけではなかった。オイルショックもあり就職難だったところに、知人から京大原子炉の助手募集の話を聞いて軽い気持ちで応募し、採用された。「原子力の在り方に疑問を抱いていても研究者になれる、のどかな時代だった」と振り返る。

原子力利用の危険性に警鐘を鳴らす実験所の同僚の研究者らと合わせて、「熊取六人衆」と呼ばれることもある。しかし、今中助教は「運動組織や徒党を組んだわけではないし、それぞれ個人の考えでやってきた」と話す。原発を推進することで互いに利益を得る「原子力ムラ」の存在を指摘する声も多いが、圧力や嫌がらせは特になく気楽に研究に打ち込めたと話す。

「自分の専門範囲なら、どんな質問にでも分かりやすく答える」。今中助教が大切にしてきたことだ。35年にわたり開いてきた市民向けの自主講座「原子力安全問題ゼミ」は、ことし2月に幕を閉じた。「ゼミは終わるが、福島のような事故が起きた時は活動をする」と語る。退職はするが、これからも専門家としての責任は果たしていく。

s_反原発ゼミ ネット

取材に応じる今中助教(222日・京都大原子炉実験所で)

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