五代友厚像(22日・大阪市立大杉本キャンパスで 撮影=瀧本善斗)

 大阪証券取引所(現大阪取引所)の設立などで知られる、明治の実業家・五代友厚の銅像が、大阪市立大杉本キャンパスに設置され、19日に除幕式が行われた。同大の前身校の一つ「大阪商業講習所」創設に関わった功績をたたえるねらいだ。

■生誕180年の建立

 銅像の建立は、ことし2月の五代生誕180年を記念して、2014年に同窓会が企画。寄付を集め、商学部棟と文学部棟の間に 高さ3.4メートル(台座含む)の銅像を建てた。

 併設の碑文石にはQRコードが設置され、携帯電話などで読み込むと、五代にまつわる情報が得られる。

■豪商たちの活躍

 NHKの連続テレビ小説「あさが来た」に登場し、脚光を浴びる五代。しかし歴史をひもとくと、他にも講習所の創設に尽力した商人たちの姿があった。

 明治初期、講習所の構想を最初に打ち出したのは、新聞記者の加藤政之助だった。商業の中心地・大阪に商業学校がないことを嘆き、社説で創設の必要性を訴えた。

門田三郎兵衛(大阪市立大大学史資料室提供)

 加藤の主張に強く共鳴したのが、材木商人の門田三郎兵衛だ。当時20代半ばにして既に、大阪鉄工所(現日立造船)の設立に関わるなど、大きな影響力があった。さらに門田は民権運動が盛り上がりを見せるさなか、盲学校や慶応義塾に多額の出資をするなど教育にも強く関心を持っていた。

 加藤や門田らは1880年、大阪・立売堀(いたちぼり)で講習所を発足。財界の頂点にいた五代も、創立員の筆頭に名を連ね、 豪商たちの協力を取りまとめたとみられる。

 門田は講習所の経営も引き受け、運営費の約4分の3を賄った。81年、運営が府に移管された際には900円を寄付。これは五代の寄付額200円を大きく上回る。

■顕彰の在り方問われる

 大学史資料室の安竹貴彦室長(法学研究科教授、日本法制史)は、建立計画を受け、講習所創設の経緯を調べ直している。14年には学長に意見書を提出し、五代のみの顕彰に懸念を示した。

 「135年の大学の歴史の中で、さまざまな人々の業績がある。市民の大学、総合大学をうたうなら、『五代の大学』のイメージを作ることの是非は、もっと議論されるべきだ」と話している。

【瀧本善斗】