大学進むも勉強できず
【写真】戦時中を振り返る黒田さん(撮影=坂本知奈美)
「大学に行った期間はほとんどなく、勉強もしていない」。終戦の年、奈良女子高等師範学校(現奈良女子大)へ入学した黒田敦子さんは大学時代をそう振り返った。学徒動員で学業よりも労働が優先され、勉強することはほぼ叶わなかった。「勤労奉仕に行くと、兵隊さんがトマトを2つずつくださった」と黒田さん。当時は食糧難で、トマトをおいしそうに食べる友達の姿が印象的だったという。
1945年6月22日午前、兵庫県姫路市を米軍の大型爆撃機B29が襲った。大学への入学準備のため同市に帰省していた黒田さんは、空襲の知らせを聞き、自宅裏の倉庫に掘った壕へ家族と共に逃げ込んだ。壕は揺れ自宅は崩れ、道には爆弾で背中が割れて血を流す人が見えた。
爆撃から逃げる中、休憩しようと腰を下ろした黒田さんの頭上を戦闘機が通過した。川の橋の下に逃げた人々を機銃掃射した米国のグラマンだった。
7月に入学したが、寮への持ち物は全て空襲でなくなってしまった。そのため、親戚が結婚時に着用した反物をモンペに縫い直し贈ってくれたという。
父親が教育熱心で、自身も大学に行きたいと考えていたため、戦時中の厳しい状況下でも進学を選んだ。だが終戦後、空襲で崩れた家を建て直そうと休学。そのまま復学することはなかった。
「学生の皆さんは幸せですよ。私から見たら、何の不自由もない」と黒田さん。大学に通いたくても通えなかった時代が70年前、日本にあった。
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