灯火で「つながり」1つに
同プロジェクトは昨年10月、山下さんと山下さんの大学の同級生で、「山下亮輔及び講演会を支援する会」(以下支援する会)の代表・田中一彰さんの2人が発案。その後、支援する会で活動するスタッフや報道サークル「UNN関西学生報道連盟」(以下UNN)で脱線事故の取材を担当した学生らが集まり、現在8人で活動している。
イベントまで3週間前となった1月31日、山下さんらスタッフ4人は伊丹市のスワンホールで告知活動やパネル展に使う資料の整理を行った。山下さんの母親が関わっている伊丹市のバレーボールクラブのメンバーの前で、脱線事故の経験を話した山下さん。事故後、自ら作詞した曲「君と歩く道」を歌い、イベントへの参加を呼び
かけた。
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イベントまで3週間前となった1月31日、山下さんらスタッフ4人は伊丹市のスワンホールで告知活動やパネル展に使う資料の整理を行った。山下さんの母親が関わっている伊丹市のバレーボールクラブのメンバーの前で、脱線事故の経験を話した山下さん。事故後、自ら作詞した曲「君と歩く道」を歌い、イベントへの参加を呼び
かけた。
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近大に入学して間もない頃に事故に遭った山下さん。107人の命を奪った脱線事故で最も被害が大きかった1両目で、両足を半日以上挟まれながらも生還を果たした。一時は両足が壊死しそうになり切断の可能性もあったが、現在では装具と杖を使って歩けるまで回復した。
10か月に及ぶ入院生活の後、山下さんは様々な場所で事故に関する講演会を行ってきた。事故を通じ、人のつながり、支えてくれる仲間が出来た。だが、卒業とともに支援する会は解散。4月からは生まれ育った伊丹市で働く。山下さんは事故で始まった学生生活を振り返り、「学生として最後に何かをしたい。どういう人とつながってきたのか確かめたい」。残された時間で少しでも多くの思いを伝えようと、企画を思いついた。
「(事故を通じた)いろんなつながりが2月20日に1つになれば。欠けていたところを1つずつ埋めて、1つの結晶にしたい」と山下さん。事故が生んだ悲しみ、怒り、悔しさ。人が抱える様々な感情を考えた上で、人のつながりの大切さを訴えかけていく。
パネル展に使用する資料や写真も、事故が生んだ人のつながりについて記されたものを選び、時系列に並べて展示するという。当日用意する1762個のキャンドルには、1人1個ずつ火を灯してもらう。「自分で灯すことで(事故に関する)いろんなことを考えてくれたら」(山下さん)。
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10か月に及ぶ入院生活の後、山下さんは様々な場所で事故に関する講演会を行ってきた。事故を通じ、人のつながり、支えてくれる仲間が出来た。だが、卒業とともに支援する会は解散。4月からは生まれ育った伊丹市で働く。山下さんは事故で始まった学生生活を振り返り、「学生として最後に何かをしたい。どういう人とつながってきたのか確かめたい」。残された時間で少しでも多くの思いを伝えようと、企画を思いついた。
「(事故を通じた)いろんなつながりが2月20日に1つになれば。欠けていたところを1つずつ埋めて、1つの結晶にしたい」と山下さん。事故が生んだ悲しみ、怒り、悔しさ。人が抱える様々な感情を考えた上で、人のつながりの大切さを訴えかけていく。
パネル展に使用する資料や写真も、事故が生んだ人のつながりについて記されたものを選び、時系列に並べて展示するという。当日用意する1762個のキャンドルには、1人1個ずつ火を灯してもらう。「自分で灯すことで(事故に関する)いろんなことを考えてくれたら」(山下さん)。
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スタッフの1人、西田健悟さん(神戸大・4年)はUNNで3年間、主に文化取材を担当してきた。脱線事故の取材に初めて関わったのは、事故から2年後の4月25日。それまで脱線事故に関わったことはなかった。事故現場に立ち、「メディアの多さに驚いたが、(取材に対し)真摯(しんし)に対応する方の心強さに心を打たれた。この強さはどこから来るのか」。「4.25」が、西田さんにとって特別な日となった。企画に参加したことで、人の思いを伝える立場から自らの思いを語る立場になった。「(今までと違い)自分の言葉で伝えないとわかってもらえない。伝えることの難しさを感じた」と西田さん。
悩みながらもプロジェクトでの活動を通じ、「思いだけでこんなに人がつながれるんや」。西田さんは力強く話した。
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キャンドルナイトは20日が雨天の場合、21日へ順延となる。当日の開催の有無、詳細は公式ブログ(http://sites.google.com/site/akari0425/)で。(記者=伊崎春樹)
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