「震災」を伝えたい
齋藤さんは西宮市生まれ。震災が起きたあの日も西宮の自宅にいた。しかし、「震災のことはあまり覚えていない」。自宅に目立った被害は無く、親しい人も無事だった。近くにいながら、震災は遠い存在だった。
関学入学後、HSCの学童保育部門で活動。震災に特別な思いはなく、ただ子どもと関わっていたい一心で活動していた。
昨年12月、代表に就任。「代表として何かしよう」と意気込んだ。だが、思いとは裏腹に、何をするかが見つからないまま時間だけが過ぎた。
転機は今年3月。NHKの震災ドキュメント「未来は今」を見たことだった。被災しながらも大切なものを失っていない若者が、震災を伝えるために何ができるのか。同じ思いを抱える自身の姿と照らし合わせ、悩んだ。「震災を知ってもらえたら」。その思いが齋藤さんを突き動かした。
震災を語り継ぐ学生らに話を聞き、思いに触れた。6月、神戸大で行われたイベントでは、自分の思いを提案書にして配布。賛同者を募った。
強い思いを持って動き始めたものの、周囲の反応は冷静だった。震災をきっかけに生まれたHSC。だが、現在は震災に関する活動は少なく、賛同は簡単に得られなかった。メンバーに理解を求める一方で、代表として活動できていないことに不満の声も聞いた。考えた末、HSC内の有志で「Lamp」を結成。季節はもう夏になっていた。
イベントを通じて多くの人と関わった。10月にはNHKと協力し、「震災X未来=? プロジェクト」の第2弾を開催。多くの学生らの前で、自身の震災に対する思いを伝えた。
批判的な意見もあった。「(震災を)あんたら知らんやろ」。街頭での活動で聞いた被災者の声。当時を思い出し涙ぐむ人を見ても、かける言葉が見つからなかった。「『震災』と聞いて涙が出ない。知っているとも言えない。でも受け止めなあかん」。震災を知らない自分が震災を伝えること。自分は正しいのか。まだ、悩む。
「結」。先日参加した研修で、今年1年を振り返る一字として選んだ。「いろんな人にひっぱってもらった」と齋藤さん。今ではHSCの多くのメンバーが活動を理解し、協力してくれる。震災を伝えることを通じ、人のつながりの強さを実感した。
一方で「(震災を伝えることに)うしろめたさもある」と話す。「(震災経験者に)共感しきれないのも考え方の一つ。震災との向き合い方を(自身を含めた)この世代が変えていかないといけない」。齋藤さんは悩みながらも、「震災」と向き合っていく。
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