JR福知山線脱線事故から3年
奥村容子さん(当時・京女大4年)の父、恒夫さんは朝早くに訪れた。「献花しながら、娘に早く帰って来いと声をかけてきました。娘の死を全然受けいれてない」と悲しみと憤りを滲(にじ)ませながら静かに話した。
山崎正夫社長らJR西日本幹部らが午前7時頃、JR西が主催する追悼行事前に訪れた。山崎社長は事故が「3年経ったとは感じられない」とし、今年3月に策定した安全性を高めることが目的の「安全基本計画」について触れ、「安全を最優先することが最大の役目。この計画に全力を注いでいきたい」と話した。
冬柴鐵三・国土交通相が午前8時過ぎに参列。冬柴大臣は献花台の前で深く一礼し、献花した。続いて橋下徹大阪府知事が午前8時20分ごろに花を手向けた。橋下府知事は「初めて現場に来た。テレビなどで見た当時の映像が思い出された。遺族の方は辛いと思う」と沈痛な面持ちで話した。
午前8時58分。事故電車と同じダイヤの快速電車が宝塚駅を出発。
午前9時18分頃。事故発生と同じ時刻、電車は警笛の音とともにゆっくりと事故現場を通過した。事故現場付近では黙祷している人の姿が多く見られた。
事故発生時刻が過ぎてまもなく、当時レスキュー隊員らが到着するまで救出活動にあたった日本スピンドル製造株式会社の社員らが献花した。
JR西日本労働組合と交流がある韓国の大邱(テグ)地下鉄労働組合幹部らが今年初めて参列。同組合委員長は「今日は犠牲者の冥福を祈るとともに、負傷者の回復を願って献花にきた」とし、平成15年に同市で起きた地下鉄火災事件を挙げ、「同じ経験をした身として、JR西日本とは安全に関するシンポジウムを開催したり、話し合っていきたい。JR西日本とは安全について午後から意見交換を行う予定」と話した。
献花に訪れた会社員の小林祐子さんは勤務先の塚本に向かう途中に事故に遭った。当時6両目で座っていた状態で事故に遭い、左足のスジを痛めたが、幸いにも湿布を貼るだけで済んだ。小林さんは「当時喉が渇いた覚えが強烈にあった」ので、いつも献花台に来るときは水を買い供えているという。「亡くなられた方々の分まで頑張って生きていく。亡くなった人から見て恥じないようにしたい」と話す。
夕方になっても献花する人は絶えることがなく、現場は深い悲しみに包まれていた。
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